
「いわばなの草刈りいってきてごせ」
祖父がそう言うと、青年は得意気に草刈り機を肩にかけ、自転車に乗り「いわばな」と呼ばれている二丁田んぼの草刈りへ向かう。逆走する車に気を付けながら、車道の路側帯をはみ出さないように片手運転で自転車を漕ぐ。目的地へ着くと自転車かごから混合油を降ろし、草刈り機に油を補充する。エンジンの始動に悪戦苦闘しながらやっとかけると、広い敷地に伸びた草を刈り始めた。
田んぼと、いくつかの集落しかない田舎町で、青年は二十歳にもなって車の免許を持っていなかった。それだけではなく、まともに高等学校だって出ていない、他に得意なこともなんにもない。
そんな青年にとって、仮払い機の資格を取らせてもらったことはとても嬉しいことだった。資格講習の際、周りの受講者の多くは眠っていたが、彼はしっかり講師の話を聞いた。雨が降ったので実技は無しだと言われ、とても落ち込んだが、はじめて手に入れた資格証は、自分が何か特別なものに成れたように思えた。
(草刈りなら俺に任せろ)じいちゃん次はどこの田んぼだ?
青年は草刈りを心から好きでやっているわけではないが、明らかに、草刈りや田んぼ仕事を通して自身に特別感を抱いていた。理由は、この辺りで田んぼをしている自分世代の人なんてひとりもいないし、じいちゃんや近所の農家さんには褒められるし、なによりじいちゃんや家族に頼りにされるからだ。
草刈りが他の人より上手いと自覚してくると、自信が付く。自分は目の前のこいつより草刈りがうまいと思える。それは青年にとって、生きていくために必要なことだった。
そんな青年を周りは認め始める。使えると感じ始める。家族が運転免許の費用を半分出してくれたおかげで、自動車運転免許を取った。
自動車に乗れるようになると、仕事の幅が広がった。自転車を使わなくてよくなった分、田んぼ仕事への行き来はかなり楽になった。自転車が軽トラに変わってからは、草刈り作業も仮払い器だけではなく、自走式の畔草刈り機も使うようになった。除草剤噴霧器や肥やし撒き機も積んで、各田んぼで一人で色々な作業ができるようになった。
周りの人たちは青年を信頼し、報酬を増やした。より自信を付けた青年はもっと上を目指そうとする。田んぼ以外の仕事に出会い、その仕事で、今までと同じように努力して、同じようにできることが増え、同じように報酬や立場が上がった。青年はどこを目指していたわけではなく、ただやるべきことをしていた。
しかし、青年はやるべきことをする過程の中で賢くなってしまったのだろうか。もう昔のように草刈り機を担いで自転車にのって車道を走れない。褒められていると感じていたことも、お世辞にしか聞こえない。頼りにされていることを、使われていると感じてしまう。いいことをした時以外は、胸を張って歩けない。何をやっても世間体が脳裏に浮かび、行動に付きまとう。自分に身に付けてきた自信と経験があるからこそ、やりたくないことや間違っていることを、やりたくないと感じてしまう。我慢ができなくなっている。
草刈り機を担いで、自転車を漕いでいたあの頃の青年は、成長した自分を見て、「嫌いだ」と言うと思う。
生きていくため、自分のために力を付けて、空気を読んで生きてきたくせに、今更勝手を言うものだな。とはいえ私も好きではない。しかし君達が悪いとは思わない。
これからは、もっと怖がらずに生きれたらいいな。
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